何年か前の年末のことです。夕食後感じていた軽い胃痛が、時間が経つにつれてひどくなって腹部全体に広がり、夜半には転げ回るほどの激痛となっていました。息子の車で市民病院の救急病棟に運ばれ、鼻に管を入れて胃と腸の内容を抜く手当で一応激痛は治まりました。
実は、これは初めてにことではなく、数年前にも同じことがあり、その時は緊急に手術を受けています。20年ほど前に行った大腸癌手術の後遺症と思われる腸閉塞とのことでした。”またか”と言う思いでした。翌朝やってきた医師の判断では、やはり手術が必要、しかもすぐにと言うことでした。これには私は悩みました。三回も切れば、腸は本当に弱くなるに相違ありません。しかも、今回は80歳に近い高齢です。一生、この苦しみを背負って歩くのか! なんとか手術を避けたいものだ、との思いでいっぱいでした。
私は、マーリン・キャロザース師の著書を何冊か翻訳する機会を与えられており、すべてのことに感謝する信仰をよく知っていたはずですが、いざとなると役に立たないのです。師は、神の働きが起きるのは、賛美に応えてくださる時と、すべてのことに感謝する時だと、その生涯を通して証しされています。
翌日、弓野牧師ご夫妻が来てくださいました。癒しの祈りをしてくださいましたが、その中で、主は癒しの神であることを感謝しますと言う言葉が心に残っていました。そのためでしょうか、私は、パッションと言う映画を思い出しました。その冒頭で、イザヤ書53章5節が朗読されます。
”彼への懲らしめが、私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは癒された。”
その夜、びっくりするようなことが起きました。急に激しい便意を感じ、大量の排便をしたのです。翌朝やってきた医師は大変驚いていました。とにかく、腸の働きが戻ったので、手術は見合わせる、とのことでした。ただ。閉塞をもたらした原因が不明なので、十分食事に注意し、何かあったらすぐに病院へ来るようにと言うのが結論でした。
帰宅して、炬燵に入った私は、心から平安を感じていました。
”私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、いま、この目であなたを見ました。”
ヨブ記42章5節
あれから、消化器に関する限り何も起こらず、平穏な毎日を過ごしていますー祈ってくださった牧師ご夫妻、教会の方々、家族、そして何よりも癒し主である主に感謝しつつー
東京町田教会 奥脇省三
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